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実録㉗~他者から向けられる気持ちに敏感な数秘33~

《実録》これが数秘33の生き方だ

数秘33の笹子です。

数秘33は特にいろいろなタイプの人がいて、カテゴリーに分けるのが難しいといわれる数秘です。

私はそんな中でも「誰とも関わらず、なるべくひっそりと生きていきたい」と思う数秘33。

生活する上では、たくさんの人間と接していかなければなりません。

そんな人生で、なるべく他人から余計な感情を向けられないようにしています。

そんな気持ちを綴っていこうと思います。

妬まれたくない

自慢されるのは誰でも嫌なものです。

私は人に「羨ましがられる」というのが苦手です。

生活のレベルや家族のこと、自分の持ち物などで「マウントをとる」という行為は絶対できません。

そこに発生する他人の様々な思いが怖いのです。

例えば、もし自分がお金や家族などすべてにおいて恵まれた環境で生活していたら、それらを他者に隠して生活するのではないかと想像します。

「お金持ちなんだ」

「子供の出来がいいんだ」

「旦那さんと仲いいんだ」

「休みのたびに出かけてるんだ」

こういった妬みにも似た感情がすごく怖いと感じます。

「羨ましい」とか「自慢された」という他者からの感情は、同時にその人の不幸を願ってしまう「妬みの念」に変化してしまう気がして、自分はこんな恐ろしい念を絶対に受けたくないと思っています。

昔の話ですが、子供が小さいときに友達のママに

「家族で水族館に出かけたら、道が大渋滞していてほとんど観覧する時間がなかった」という些細な会話をしたのですが、その人がこのすべての会話を自慢だと受け取った、ということがありました。

この人のご主人の仕事が上手くいかず、とても困窮していたという事を私は知らなかったのです。

その人にとっては、家族で水族館に行ったということ自体が妬ましいことだったのでした。

世間にはこんな風に、思ってもいないような受け取り方をする人がいます。

私自身の生活環境は、別に自慢できるようなものではありません。

しかし、自分の発した言葉が受け取る人の環境によってどんな風に感じ取られるかわからないので、身近な人にはプライベートは語らないようにしています。

だから、もしも魔法がかかって今乗っている車が高級車になり、持っているものはすべてブランド物に、子供はみんながうらやむ高い偏差値の学校に・・・という誰の目から見ても「羨ましい」という状況になっても、周りから受ける「妬み」の念が怖くて、すべて元の状態に戻してもらう気がします・・・。

他者から受ける様々な感情を跳ね返せる強さがありません。

モテたくない

自分は人生でモテたこともないのにこんなことを書くのはおこがましいのですが、モテるというのは怖いなと思います。

「異性にモテる人」というのは「自分がモテたいと思っている人」と私は理解しています。

モテたいから、モテる為の行動をして、結果モテるという当たり前の現象。

私はモテたくない。

異性から向けられる様々な念が怖いなと思います。

だから無駄に優しくしたり、話しかけたりそんな行動は絶対に取りません。

好意を向けられてしまったら、その念がいずれ妄想となったり、観察の対象にされたり、束縛したいという感情に変化したら怖いと思うからです。

負け惜しみと思われそうですが、異性から好意を持たれたくないのです。

数秘33はモテるといわれますが、私はモテたこともありませんし、モテたいと思ったこともありません。

むやみにモテなくて大正解。

そう思って生きています。

他者から向けられたい感情は「信頼」

妬まれたくない、モテたくない。

そんな数秘33の私ですが、どんな感情だったら向けられてもいいのでしょうか。

私の場合は「信頼」の念を持たれることがとても重要です。

自分の子供からも信頼されたいですし、何か問題が起きて子供との信頼関係が壊れることが一番怖いなと思います。

仕事でも、私に対して「仕事ができる」とか「親しみやすい」とかではなく

「この人に任せておけば大丈夫だろう」

という信頼感を持たれることが一番うれしいです。

そして放っておいてほしい。(安心して任せているからできることなので)

関係がこじれてしまった義両親なども、もっと信頼して「連絡がないのはいい便り」くらいに構えておいて欲しかったな・・・というのが私の印象でした。

干渉されるのは、信頼されていないからと受け取ってしまいます。

こんな風に、自分自身の存在をただ信頼して受け止めて、放っておいてもらえるのが、一番ありがたいと感じます。

なんでこんなに他者からの思いに敏感なのか

世の中には、颯爽とブランド物に身を包み高級車に乗りながらそれをステータスとして生きている人や、異性にモテたい、モテることは嬉しいと思って生きている人がいる一方で、私のように誰からも「羨ましいと思われたくない」「モテたくない」と思って生きている人もいます。

まちがってもSNSでリア充を報告することもありません。

どうしてこんな風に、ひっそりと生きていたいのか?

数秘33の私は、そもそも目に見える形の幸せ、ステータス(高級車やブランドもの、学歴など)にあまり興味がありません。

人から見られる幸せの形ではなく、自分自身の心が幸せに包まれる精神的な充足感を求めます。

だから、自分がそれらのわかりやすいステータスを所持することで向けられる妬みのような念はまったくもって「要らないもの」「余計なもの」「怖いもの」に感じます。

持ちたくもないものを持って、向けられたくもない感情を向けられるなんて、全く割に合いません。

それよりも、自分自身の心が幸せで安定していられたら、それで満足なのです。

異性に対しても、相手から勝手な思いを向けられるのではなくむしろ、こちらが愛情を持てる相手がいてほしい。愛情の念を持ちたい。

「♪愛されるよりも、愛したい~」という歌の歌詞がありましたが、そんな感覚です。

まとめ

今回は他者から向けられる気持ちに敏感な数秘33の私の思いを綴りました。

「羨ましい」と思われたくない。妬まれたくないから。

「モテたくない」余計な感情が怖いから。

そして、そもそも求めているのはわかりやす形のある幸せではなく、精神的な充足感。

だから、わかりやすいステータスなどの「持ちたくもないもの」を持つことで向けられる妬みの念は、まったくもって余計なものであると感じています。

他者から向けられたい感情は「羨ましい」とか「好き」ではなく「信頼」。

自分のことは信頼して、なおかつ放っておいてほしいという自分がいます。

人からの念というのは、自分ではコントロールできないものであり、経験的にとっても怖いものだとも感じています。

「好き」という好意的な念であっても、それを向けられることは数秘33の私はあまり嬉しいものではありません。

自分が精神的に満たされていて、自分が好きなものに愛情を向けることが一番幸せなのです。

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