こんにちは。
数秘33の笹子です。
日々の暮らしの中で、「住む世界が違う」と感じる人たちがいます。
それを分類すると、主に2種類の人たちになることに最近気が付きました。
その2種類の人について、数秘33で生まれたアラフィフの私が解説してみようと思います。
①人と一緒に何かやるのが大好きな人
ズバリ、住む世界が違うと感じるのは、「みんなでいっしょにやろう!」がモットーの
人と一緒に何かやるのが大好きな人。
子供のころからグループで何かするのが苦手でした。
例えば、理科の授業で班ごとに実験するときは、ずっと
全部一人でやらせてくれないかなぁ・・・・
と思っていました。
班になると各作業が分担になるので、自分の分担以外のことを含めて一系列でまとめて理解できません。
ただ自分の担当の作業をするだけの実験になってしまうのが嫌でした。
一人で全部できたら、実験の意図も理解できるし純粋に実験結果を楽しめるのに・・・。
班の中のリーダーになりあれこれ指示するタイプではないので、自分の役割だけに徹する理科の実験はいつも、もどかしさがありました。
クラスレク、文化祭などの行事ももちろん苦手でした。
こんな中で「人と一緒に何かやるのが大好きな人」は大活躍します。
キラキラとした学生時代の思い出がみんなの中に残るのは、こういうタイプの人がみんなをまとめ、盛り上げてくれるからです。
しかし、私はこういった行事にキラキラした思い出よりも
なんか、この雰囲気苦手・・・
みんなで一緒にってしんどい・・・
こんな思い出のほうが強く残っています。
人と一緒に何かやるのが大好きな人たちは、たぶん今後の人生も社会から必要とされる人種なので
この世界、生きやすいだろうなと思います。
そして「あぁ、生きてる世界が違う人なんだなぁ」
と感じるのです。
大人になっても、親睦会といった不特定多数の人が集まる機会は憂鬱でしたし
結婚してからは、頻繁に顔を合わせたがる義理実家との交流に心が折れました。
私としては、親睦会などの
「さぁ、今からみんなでワイワイやって、仲良くなろう」
というコンセプトが性に合いません。
お酒の入った非日常空間での交流で見せる顔と普段の顔って違うし、親睦会などしなくても、普通の生活上での付き合いで仲は深まるでしょ。と思ってしまいます。
また、義理の実家との付き合いも
なぜ嫁が気を使うことがわかってて、頻繁に会おうとするのだろう・・・
長い付き合いになるのだから、ほどほどの距離を保つことがお互いに一番優しい関係でいられると思うんだけどな・・・
会わないことってそんなに心配?
と感じていました。
そして先日こんな出来事が。
近所の一家がバーベキューパーティーを企画
ご近所さん同士の親睦を深めることが目的の会のようで、ほかの近所の数軒に持ち掛け開催されました。
我が家は皆予定があり辞退したのですが、なんだか恐怖すら覚える出来事でした。
一人一人はみんな、いいひと
子供が生まれればママ友グループがあり、趣味の会に入ればオフ会的なお食事会や新年会があり、人はグループができるとより深く、交流をしていこうとします。
私は1対1の付き合いはできても、グループでの交流は大の苦手です。
一人一人は話すとみんな大抵、いいひとです。
1対1だと相手の個性を好ましく感じるし、お茶する付き合いも大丈夫なのに、グループになるとみんなが何か別の人種になってしまうような違和感があります。
・違う意見は言えない同調圧力的な雰囲気
・深い話はできない表面だけの会話術、身のこなしが必要
・明るく快活であることが求められる
そういったことに、恐怖とめんどくささ、そして
「自分は集団の中で理解されない」
そして
「浮く」。
という確信とあきらめに似た思いがあるのです。
そういったことを乗り越えているのか、そもそも何も考えていないのかわからない
「みんなでいっしょにやろう!」がモットーの人には
「住む世界が違う」
と感じます。
②すべてのタスクが揃っているエリート
もう一種類の、「住む世界が違う」と感じる人たちを取り上げます。
次にあげるのは肩書などの目に見える部分です。
先日、新聞の記事である女性が取り上げられていました。
自分と同世代の女性で肩書は「教授」。
現在、とある研究に取り組んでいて、経歴をみると世間が認める「全て」を持っているように見えました。
日本最高峰の大学出身という学歴を持ち、一流企業から転職し現在の職につき、夫がいて子育てもしている。
すべてのタスクが揃っているエリートだなぁと思いました。
同じ女性として同じ国に、同世代として生まれ、人生でここまでの違いが出る理由は何なのだろうと思いました。
本人の努力?
生まれた環境?
私の人生の中でどこかで違う道を選んでいたら同じような人生を送れた?
・・・・どれも、ピンときません。
そして思うのが
「住む世界が違う」。
ただ、こんな風に世間的に誰もが認めるスキルや経歴を持つ人、一流の人に共通するのは
「自分の大好きなことを極めようとしてきた」ということ。
もしそう考えるならば、私は好きなことを極めてこなかった、ということなんだと思います。
好きなことがたくさんあったけど世間の常識、レールに乗っかってあきらめたり、辞めてしまったのだろうと思います。
この記事の女性も、育児と研究で多忙を極め、悩んだそうですが結局は「研究」という大好きなことに心が躍り、未知なるものへの探求心とチャレンジ精神で乗り切ってきたようでした。
ここまで、没頭できるものに出会えたこと自体が幸運なのでしょうが、それを自分だったら突き詰めて行けただろうかと考えます。
子供がいるから・・・
家庭を犠牲にしたくないから・・・
お金がかかるから・・・・
と理由をつけて「好きを極める」をあきらめそうです。
こんな風にすべてのタスクが揃っているエリートに対しても「住む世界が違う」と感じます。
2種類の「住む世界が違う人」について近づけるか
最初に取り上げた人と一緒に何かやるのが大好きな人については、近寄ると多分消耗します。
違う世界の視点は大切ですが、私は私の視点で生きていったほうが幸福だろうと感じます。
やっぱり人とは1対1で交流し、マイペースで行動したいです。
しかし、こんな集団の中で数秘33がありのままの個性で生きていく姿を見せることが、本当の数秘33の使命なのだろうとも感じています。
二番目に取り上げたすべてのタスクが揃っているエリートについては、その目に見えるタスクに憧れるというより、好きなことを極めている生き方に憧れる部分があります。
本来数秘33は「好きなことしかしないマイペース人間」(「ゼロからマスターする数秘術」はづき虹映著 より)。
没頭したい!と思えることに出会えれば、とことん突き詰めて生きられる人です。
このタイプの「住む世界が違う」と感じる人に近づける要素はあると思います。
好きなことを極めていたら、結果的にそうなった・・・みたいな感じで。
数秘33が「大好き」に素直になり没頭していくことは、今後の人生に多大な充実をもたらすだろうと思います。
まとめ
今回は、「数秘33から見た住む世界が違うと感じる人たち」を取り上げてみました。
主に2種類の人を取り上げました。
①人と一緒に何かやるのが大好きな人
②すべてのタスクが揃っているエリート
①に関しては、数秘33の「マイペースに全部一人でやりたい」という思いと、根底にある「集団の中では自分は理解されない」という意識が強く働くので、一緒にいるのは大変消耗する相手だと思います。
②に関しては、嫉妬もあるのかもしれません。なぜなら「好きを極めた結果」得られたものだから。
数秘33の「好きを極めるのが本当は得意な性質」を活かしきれなかった自分に対して、やるせなさがあるので「住む世界が違う」と処理しているのかもしれません。
どちらも、今後の人生で知っていれば無駄に嫌ったり、避けたり、妬んだりすることなく生きられるかな、そんな思いで書いてみました。
数秘33のみなさんに届けば幸いです。