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実録⑤~自己犠牲的な数秘33~

《実録》これが数秘33の生き方だ

数秘33の笹子です。

数秘33は自己犠牲的な面を持っています。

「自分より相手優先」「自分さえ我慢して丸く収まるならそれでいい」と思いがちです。

ちなみに自己犠牲を辞書で調べると・・・

自己犠牲(じこぎせい、self-sacrifice)

何らかの目的や他者のために、自己の時間・労力・身体・生命をささげること。

weblio辞書より

今回はこの辺りを、数秘33当事者の私が深掘りしてみようと思います。

数秘33は本当に菩薩的な愛の奉仕者?

数秘33はよく「菩薩のように一切の見返りを求めない愛の奉仕者」といわれます。

数秘33当事者はそんな感覚があるのかというと私個人的にはちょっと疑問です。
実際は困っている人を見るとそんな暖かい気持ちではなく、焦りに似た気持ちでいっぱいに。

「周りの人を幸せにしたい」というより・・・・

身近な人が悲しんでいる、辛そうであるという状態が耐えられない。
助けられない自分にふがいなさを感じる。
自分がなんとかする役目があると思ってしまう。

だから身近に大変そうな人がいると自分の力不足を感じてその本人以上に心が疲弊してしまいます。

その人の抱える苦痛を取り除く役目を果たさないと・・・と強迫観念のような気持ちで苦しくなってしまうのです。

考え方が極端なので、その役目を果たせないと自分の存在の危機を感じてしまうほどに・・・

よって数秘33がよく言われる「見返りを求めない愛の奉仕者」の根っこは

「身近に困ってる人がいると、それに対して何もできないことで自分の存在価値が揺らいで耐えられないので、何とかしないといけないと強く思う」というのが実態なのではないでしょうか。

自己犠牲の精神が時に極端な思考回路になることも

私の例でいうと・・・・

母親との関係

母親が仕事や家事で大変そうなのを見てきて、

「こんなに大変なのは子供という自分の存在のせい」と感じます。

こんな時、普通なら手伝いすることで母親を楽にしようと考えるのでしょうが、数秘33の私は自分が早く巣立って家からいなくなることで負担を軽減させてあげたいと思いました。
母の大変そうな姿も見たくない

だから小さい時から一人暮らしをするのが目標でした。

夫との関係


毎日帰りの遅い夫に対し、投げかける「もっと早く帰ってきてほしい」という言葉。
表面的には家事・育児をもっと手伝ってほしいと訴えながらも心の深いところにあるのは

「自分のせいで(家族を養うために)こんなに過酷な働き方になっているのは申し訳ない。だから何も頼めない」という気持ち。

だから、あらゆることを自分一人でこなすようになり、徐々に「遅く帰宅する姿を見たくない。いっそ別れたほうが精神的に楽になれる」そう思って心が閉ざされていきました。

子育てにおいて


自分が「母親らしい役割」ができていないと感じると、一気に罪悪感でいっぱいになります。

特に、衣食住においての責任感が強く、例えば休日の朝、母親である自分が朝寝坊をして子供が自分で朝食を作り出したりすると、申し訳ない気持ちになり「私がやらないと!」と起き上がります。

あとは子供が精神的に悩んでいるときなど、「自己肯定感を育めなかった自分の育て方が悪かったのではないか」と責任を感じてしまいます。

仕事において


誰もやりたがらないような仕事、キツイ仕事をあえて志願してしまう。

まわりから「なぜそこまでやる?!」

と言われても、誰かがそれをやるのを見るくらいなら、自分がやったほうが気持ちが楽。
だから無理してやってしまいます。
自分ばかり損していると感じながらも、そうせざるを得ない衝動があり我慢してでもやってしまいます。

数秘33の自己犠牲が功をなさないとどうなるのか


この自己犠牲的行動がうまく行かなくなり歯車が狂いだすと、数秘33はやっぱり極端な思考、行動をとりがちです。

突然攻撃的になったり、距離を取ろうとする。
下手すると交友を絶ったり、職場を離れたりしてしまうことも。



ちなみに自分だけの問題なら別に大変なことでも過酷でも数秘33は乗り越えられるし、立ち向かっていけます。

一方、これが人の事となると、自分に責任を感じ一気に悲観的に。

周りの人のつらさを見たくない。自分に何もできないことが苦しい。役立たずの存在にはなりたくない。こんな自分を認めたくなくて、フェイドアウトを選んでしまうことがあるのです

自分が辛いときはどうしてるのか?

逆に自分が辛いときは周りには頼れない。
周りに手を煩わせたくないから。
だから、静かに耐えるし騒がず苦しむ。そんな感じで周りにはつらい姿を見せません。

さらに厄介なのは、自分のペースで自分のやり方で解決したいと思っている。

助けてくれそうな人が現れてもその助けが自分のペースを乱すなら、さらに苦悩が増えるので自分一人で解決したいと思ってしまいます。

だから数秘33が苦しんでいるときに必要なのは手助けよりもねぎらい。精一杯ねぎらってほしい。
「そのがんばり見てたよ、すごい頑張ったね」と。

(本当にめんどくさい性格ですね…)

自己犠牲を抜け出し、愛の奉仕者として生きるには?

自己犠牲は自分はホントはやりたくないのにやっている状態。
自分の中の焦りや不安の衝動からくるものだと思います。

数秘33の使命でもある愛の奉仕者ならば本来、そこに相手に対して「愛」や「喜び」があるのが本当ではないでしょうか。

日常的に感じる「自分が助けねば」「自分がやらなければ」の思想の中に相手への愛がないのなら、潔く手を引ける自分になりたい。その困難だって相手の人生の糧(かて)になるんだから。

数秘33は「人の役に立っていないと、生きてる意味がない」という気持ちがものすごく強いので、それを満たそうとしすぎて自己犠牲が行き過ぎていないか、自分の気持ちを立ち止まって確認したほうが良いと思います。

そこにあるのは、「焦り」や「不安」なのか、それとも「愛」や「喜び」なのか?

「そこに(相手への)愛はあるんか」と。

まとめ

愛の奉仕者といわれる数秘33。

しかし、私個人の実情は人が困っていることに対して、なぞの責任を感じ「見ていられない、つらい」という気持ち。

だから家庭や職場でもついつい自己犠牲的になり、「自分さえ我慢すれば見たくないものを見なくて済むから自分がやる」という行動に出がちです。

その行動がうまくいかないと、自分の存在価値までグラついて人間関係を切ったり、職場を離れるという極端な行動に出てしまうことも…。

自分が困難に陥っているときは周りに援助を求めることも苦手で、本当に「ただねぎらってほしい」というめんどくさい一面も持ち合わせています。

愛の奉仕者という本来の数秘33になるために必要なのは、自己犠牲的に焦りや不安から行動するのではなく、相手への愛や喜びから行動することが、数秘33らしく生きるためのヒントなのではないかと思います。

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