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普通の人、普通の家庭なんてない!

数秘33のたわごと

こんにちは。数秘33の笹子です。

このページは、笹子のたわごとをつぶやくページです。

数秘33の生き方については《実録》これが数秘33の生き方だをご覧ください。

最近、私の人生は一難去ってまた一難、山あり谷ありだと感じる出来事が多く

「普通の人生を生きたい」

「なんでもっと普通の家庭を営めなかったのか」

と感じることが多々ありました。

しかし、はたと立ち止まって考えてみました。

普通って何?

普通の人って存在してる

普通の家庭ってある

例えば自分の職場のメンバーを見渡しても

生涯独身、バツイチシングル、子持ちシングル、持病もち、子供が学校中退、子供と絶縁中、未亡人・・・

見事に、みんなそれぞれ抱えていると気づきました。

この職場が特殊なのか?と思い、以前の職場を思い浮かべると

夫と別居中、バツ2、シングルファーザー、夫が浮気中、兄弟が寝たきり、親が生活保護

・・・あれ?

やっぱりみんなそれぞれ抱えている。普通の家庭の人ってほんとにいない。

我が家も例にもれず、あれやこれやと抱えています。

性格だってみんな、深く付き合うとあれ?と思う独自の個性を持っていて普通の人はいない。

自分の願う、普通って幻想

と最近わかってきました。

生きている以上、抱えているのは当たり前。

ひとりひとり、抱えるものの種類や数が違うだけ。

これがリアルな私の周辺です。

でも、「普通」という幻想はどこから来たのか?

これは多分にテレビドラマの影響が大きいのではないかと思います。

朝食シーン1つとっても家族みんなが揃って食べるのがあたりまえ。
まるで家族バラバラに食べるのは家庭としてダメなことのように思ってしまう。実際はみんな朝の出発時刻が違いますよね。

役割も母親が食事を用意して、父親が新聞読みながら食べ、子供たちは感謝もせずコップに注がれたオレンジジュースを飲んで、食器はそのまま下げることもなく学校へ・・・

それらをひとり片付けるどこまでも献身的な母親のシーンもよく見ます。

本来なら共働き家庭が多いのだから父親が朝食の用意をしても良いはず。

祖父母のイメージならば、田舎に住み「じんさんや、ばあさんや」と互いに呼びかけあう仲睦しい温和な二人。でも実際は積年の恨みつらみを持ちつつも、老後を一緒に暮らしている人が多数だと思います。

シングルマザーならば養育費は貰っておらず、女手一つで一生懸命稼ぎ何もかも一人でこなしている演出が一般的。なんだかそれが尊い生き方で、養育費をしっかりもらっているシングルマザーはまるで苦労知らずな雰囲気になってしまったり。

こんなドラマを何十年も見続けてきた結果、朝食づくりは母親がするのが普通で、老後の夫婦の最終形は円満であるべきで、養育費を払っている夫は偉い(当たり前のことなのに)みたいな刷り込みが「普通」の事として、静かにプレッシャーになっているように思いました。

でも、実際はドラマで見るような普通の人なんてない、普通の家庭なんてない。

今の自分の生き方が普通のラインから離れていると思うのは、ドラマでさんざん見てきて刷り込まれた「普通」と比べてなのだと最近気づいたのでした。

多様性という言葉はものすごく現代的な言葉で、ありがたい概念です。実際に一昔前に比べたら、ずっと生きやすくなっているとは思います。

それでもがんじがらめ、まだまだ生きにくい世の中だと感じます。

人間抱えるものがあって当たり前!普通の人なんていない、普通の家庭なんてない!!

個人個人、その家庭ごとに当たり前は違う。そう自覚するだけでも少しは楽になれそうです。

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