こんにちは。
数秘33の笹子です。
数秘33っていつも何かに悩んでいます。(私だけ?)
でも、その悩みはたいてい人に理解されません。
だから身近な人に相談することもありません。
そんなことについて今日は綴っていこうと思います。
小さいころから周りと違う悩みを抱える
思い返すと「周りとなんか違う」と自覚し始めたのは、4~5歳のころ。
自分自身を男の子のように感じていたので、幼稚園の入学式にスカートを履くことを泣いて嫌がったことを今でも思い出します。
自身が女の子だという認識はあったので、なぜ自分が男の子として生まれなかったのか小さいながらに不思議だな、と疑問に感じていました。
周りにはそんな女の子、誰もいませんでした。
小学校では極度のあがり症になり、とにかく「発表を伴うイベント」が大嫌いでした。
『人前であがらない方法』といった社会人向けの書籍をひっそり買って読んでいた小学生でした。
そして同級生が人前で、いつも通りに普通に振舞えるのが不思議でしたし、羨ましくもありました。
普通は「あの子はあれを持ってていいなぁ」とか「かわいくていいなぁ」と友達に対して思うのでしょうが、私は
「みんな人前であがらなくて羨ましいなぁ・・・」
と思っている小学生でした。
中学校に上がると、この「あがり症」を克服するために学習係に立候補して、皆の前で明日の教科の持ち物を発表するという「試練」を自分に課しました。
国語の時間に順番に朗読させられるのも恐怖で、順番が来るまでお守りをを握りしめていたこともあります。
私の通う中学では、部活で入賞すると全校集会の際に壇上で表彰されるので、それを回避したくて試合中に調子が上がってくると
「やばい、このままでは勝ってしまう…壇上で表彰されてしまう!!」
と心配しながら戦っていたことも・・・。
小・中学校生活はこんな風に人知れずあがり症で悩んでいましたが、こんな私の心の中を誰も知りません。
こんな悩みに共感してくれそうな友達は、誰一人いませんから。
高校生になると今まで以上に「あがる」場面で苦しみました。
部活では「イップス」のような状態になり、試合になると普段できることが全然できない、わからなくなるという状況に・・・。
これは、大人になってから同じ競技を再開し「自ら試合に出てみる」という試練を課し、なんとか克服をしています。
(自ら自分に「試練」を与えがち・・・)
悩みはたいてい精神的なもので、いつも誰にも理解してもらえない事柄で病んでいました。
そして、自分と同じようなタイプの悩み方をしている子には、全く出会えませんでした。
親にも悩みは話さない
例えば親との関係も周りと全然違うと感じていました。
仲が悪いわけでも嫌いなわけでもないし、毒親でもない。
なのに関係がすごくクールでドライ。さっぱりしすぎています。
大学生になって一人暮らしをはじめると、周りの友人たちは困ったことがあると当たり前のように実家に電話で相談しているのを見て、私は悩みを両親に相談したことがないことに気が付きました。
必要なものがあれば、必死にアルバイトをして手に入れる。
困りごとがあれば、自分で調べて解決する。
そんな私を見て、友人から「なぜ親にお金を出してもらわないの?」と聞かれ、そんな発想すらない、親に出してもらうってなんか違う、そう感じました。
結婚や子育ての困りごとや悩みも、一度も親に相談したことがありません。
「両親には頼れない」という気持ちの根底にあるのは、親と自分の人生は全く別のものという感覚。
自分の悩みは自分にしかわからないし、解決は自分でしかできないという考え方が沁みついてしまっているようです。
大人になってもやっぱり人と違う悩みが押し寄せる
社会人になると、会社に人生を乗っ取られている感覚に息苦しさを感じて、同じ会社で何十年も務められる人が別世界の人に見えます。
結婚してもカサンドラという、まさに「周りには理解してもらえない」状況に悩み、翻弄されます。
そして「大の世話好き」の義両親との関係にも苦しみました。
義両親のしていることは誰から見ても「良き事」なので、私の苦しみに共感してくれる人はいません。
嫁姑問題は普通、いびられたり息子びいきでつらい思いをする相談が一般的ですが、私が悩むのは義両親に気をかけられすぎたり、良かれと思って介入されることが耐えられないほど辛い、という苦しみ。
周りから見たら、義両親のしていることは「息子家族に対して良かれと思って」という気持ちからしていること。
だからこの関係性に文句を言うのは罰当たりだということもわかってはいるのですが、義両親の「理想の嫁像」にはなれなくて疲れてしまい、結果的には距離を置くことになりました。
ママ友関係も、集団の「みんなで一緒に子育てをわいわい楽しもう!」という明るさや、本心はどうであれその場にいるときは「みんな一緒の考え、一緒の雰囲気、一緒の子育て方針を装う」みたいな神業レベルの身のこなし方をしなければそこに居られない・・・というプレッシャーに疲れました。
一人ひとりはみんなよい人なのに・・・・。
その人の人格がママの集団に入ると一瞬で別者に変化する、そんな怖さがありました。
結果的には子供ありきのママ友達を作ることをせずに子育て期を終えました。
だけど、やはりこんな風に感じているママはかなり少数派です。
悩みに実は具体性がない
見ての通り、私の人生わかりやすい悪いことや事件は起きていないのです。
そして、悪い人もどこにも出てこないのです。
渡る世間に鬼はなし。本気でそう思っているのも事実なのです。
なのに「嫌だ、逃げたい、辛い」という事象や人物を自ら作り出してしまうみたいです。
私の感じ方、考え方が原因なんだとはわかっていても、嫌なものは嫌なんですよね。
悩みの本質は、地球のルールにどうしても順応できないから
この「誰にも理解されない悩み」ばかり抱えてしまうのは、どうしてなんだろうと考えてみました。
数秘33は、この地球のルールに馴染めない特性があるようです。
「数秘33は宇宙人」とよく言われますが、私の悩みはこの地球の常識やルールにどうしても違和感がある故の悩みのような気がします。
小さいころに自分の性別に違和感があったのも、楽しい遊びは全部、野山を駆け回ったり、対戦ごっこなどの身体を思いきり使うもの。そうなると友達は全部男の子。
でも世間的には女の子用と男の子用の洋服、遊び方、おもちゃが分けられていて、それに順応することができなかった。
あがり症や部活でのイップスも、その競技自体は大好きなのに地球のルールで下される評価や勝敗の結果で自分の価値が決められることに、心が押しつぶされそうだったから。
会社員が辛いのも、自分をがんじがらめのルールに従わせて、時間を捧げて生きる事がどうしても苦しいから。
結婚生活やママ友関係が苦行に感じるのも、世間の求めるステレオタイプの「良い妻・良い母・良い嫁」という青写真に自分を当てはめていくことに何の興味も持てなかったから。
すべては、この地球常識、地球ルールに四苦八苦している自分が浮かび上がります。
やっぱり数秘33らしく生きるしかない
やっぱりこの地球常識、地球ルールに自分を従わせていると、悩みが尽きないということがわかりました。
やっぱり、数秘33らしく生きるしかない。
そんなのわかっているのにそれがどうにも難しい。
数秘33らしく生きるというと、どうしても突き抜けて人目を気にせず生きていくというイメージになりハードルが上がります。
私は悩みを抱えたときに、それを克服したくて自分で自分に「試練」を与えていく、ということを実践してきました。
その「試練」を克服した時の達成感を味わうと、この地球で数秘33として生きる意味や楽しさが見えてきて「この人生も悪くないな」と思えるのです。
しかし、その試練が必要なしと思えば、あっさり距離をとってしまうのも極端だな、と我ながら思います。
まとめ
今回は人には理解されない悩みを抱える数秘33について綴ってみました。
小さなころから大人になるまで、抱える悩みはいつも誰とも共感できないことばかり・・・。
だから自分の悩みは自分にしかわからないという考え方が沁みついています。
こんな悩みを抱える原因は数秘33がよく言われる「宇宙人」に関係がありそうです。
自分が生まれ落ちたこの地球の「地球常識・地球ルール」にどうしても馴染めない数秘33。
具体的な事象や人間にではなく、それに順応する際の苦しさに悩むのではないでしょうか。
周りのみんなは気にも留めないことに対して「そんなルール、嫌で逃げたくてたまらない」状態になってしまうのだと思います。
そして、やっぱり数秘33は数秘33らしく生きなければだめなんだなぁと思い知るのです。
私はその「地球ルール」を克服するためにあえて自分に「試練」を与えてみます。
そうすると、克服した時の達成感がたまらないので、数秘33なりに地球ルールを俯瞰して乗りこなすことで、生きる意味や楽しさを味わえるのかなと感じている今日この頃です。