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実録㊺~人生に自由を求める数秘33~

《実録》これが数秘33の生き方だ

こんにちは。
数秘33の笹子です。

先日部屋の掃除をしていたら、20年前の日記が出てきました。

その日記を読み返してわかったのは、とにかく数秘33の私は物理的にも、精神的にも常に自由を求めているということ。

今日はそんなことについて綴っていこうと思います。

とにかく働きに出たかった

20年前、子供がまだ未就園児で私は専業主婦でした。

日記には「働きに出たい」という切実な思いが綴られています。

しかし実家も遠く、夫は仕事でほとんど家にいない。

ワンオペで子育てをしながら外に働きに出ることが、どれほど大変なことかは容易に想像できました。

でも、この事実をすんなり受け入れられないのです。

なぜ、こんなにも人生の選択肢が無くなってしまったのだろう・・・

「自由」から遠ざかっていく自分の人生に対して、焦りを感じていました。

家庭を捨てて一人になりたい!というような気持ちではなく

自由がない人生を受け入れたくない!

その一念でした。

それを叶えるのが「外に働きに行くこと」だと、あの頃の自分は信じていました。

窓の外から、近所のワーママさんが子供を保育園に預け、仕事に行く姿を見て「羨ましい・・・」と心の底から感じていました。

私は家に閉じこもって、何にもできないのか・・・と。

私はこの日記を書いた5年後にパートをスタートさせ、8年ぶりに社会に再び踏み出したのでした。

仕事したって自由は手に入らない

「外で働く」という夢は叶ったけど、仕事を始めるとこんなにも自分の時間と心を捧げなければならないものなのか・・・と絶望しました。

家族との時間を犠牲にすることも多々ありました。

あれ・・・・?

結局、ここにも自由はなかった。

家に居るときは、外に出ることで自由が得られると信じ、外に出るとそこには自由なんてないと気づくのでした。

常にここではないどこかに自由があると信じる

正社員→専業主婦→パート→正社員を順番に経験し、改めて読み返した昔の日記。

表面的には「仕事をしたい、社会に出たい」と切実に訴えていますが、その根底にあるのはもっと自由に生きたいという願望。

思い返せば、小さなころからアラフィフの現在まで、常に

「今いる場所じゃないどこかに行きたい、現状を変えたい」

と追い立てられるような気持ちで過ごしていた気がします。

小学生のころには「一人暮らしをすることが夢」でした。

家庭環境には何の不満もないに。

家族とか家という枠から飛び出して、とにかく自分の思い通りに自由に生活してみたかった。

専業主婦になると、外に出る自由が欲しくて働きに出ることを熱望。

そして仕事に就けば、なにもかも仕事軸で人生を過ごさなければならないことに絶望。

そして今は、仕事からも自由になりたくてそこからも飛び出しました。

いったい私、どこに向かっているの?

ずっと同じ場所にいると窮屈になって、場所にも、時間にも、人間関係にも縛られない自由を求めてしまうのです。

自由って幻想?

地球で生きていく以上、お金、仕事、家族、自分、どれも必要でどれも切り離しては生活ができません。

このバランスを取りながら、自由を感じることが本当に難しい・・・。

生きている以上、私の求める自由って、どこにもないんだな・・・

そう思います。

欲張りすぎているのかもしれません。

どれかを諦めないといけないのでしょうか。

理想の自由って

若いころは、背負うものや縛られるものがない自由を求めていましたが、今は圧倒的に時間的自由を求めています。

自分の人生の時間を自分で設計できる生活。

こんな生活ができたら、私の心は深く充実感を得られるような気がします。

「自由だーっ!!」と。

だから私は老後のような生活にあこがれてしまうのです。

まとめ

今回は「人生に自由を求める数秘33」について、綴ってみました。

きっかけは、20年前の日記を読み返してみたことから・・・・。

専業主婦の時は、外に働きに出ることで自由が得られると信じていたけど、仕事を始めるとさらに自由からは遠ざかって「自由はどこにもない」と絶望します。

お金、仕事、家族、自分、どれも大事で、それらと「自由」とのバランスを取ることがとても難しいと感じています。

私の求める自由とは「自分の人生の時間を自分で設計できる生活」。

毎日の生活をいつ・どこで・なにをするのかを自分の意志で決定できたら、私はこの上なく幸せだろうな・・・と夢想する数秘33の私なのでした。

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