こんにちは。
数秘33の笹子です。
私はもう成人した子を持つ母親です。
今日は数秘33の私が、子育てについて振り返って綴ってみようと思います。
出産方法一つとっても普通じゃない
子どもたちは助産院、助産師さんの手によって産婦人科以外の場所で生まれました。
なぜ病院で産まなかったのか・・・?
当時はいわゆる自然派育児の走りの時代でしたので、それに共感したというのもありますが
一番最初に妊娠をした時の産婦人科での対応に心から幻滅したというのもあります。
お医者さんの発言や対応に対して、安心して出産をお願いしようと思えなかったのです。
これがよい機会となり、出産についてなるべく自然に任せて産みたいという強い願望が生まれました。
そう思い始めると自然とご縁が繋がるもので、子どもたちはそれぞれ別の地域で生まれましたが、どちらの時も信頼できる助産院や助産師さんと巡り合うことになりました。
家庭的な雰囲気の中、自分の好きな姿勢でお産ができること。
出産後も好きなだけ子どものそばに居られることは、とても心身を安定させてくれました。
こんな風に、わりと自然派育児にまい進していました。
赤ちゃん期では・・・
・完全母乳
・なるべく布おむつ
・離乳食は大人のとりわけ
幼児期では・・・
・断乳しない
・トイレトレーニングはしない
・牛乳はなるべく与えない など・・・
自然派育児の本や先生をお手本にしているので、当然近所のママさんとは全く子育ての話が合いません。
しかし一方で、自然派育児ママ特有の融通の利かない生真面目な考え方に、なんとなく疲れてしまう自分もいました。
どっちのママたちといても疲れてしまう・・・。
やっぱりどこかしらの集団にはなじめない自分がいました。
一人の人間としての自分と、母親としての自分のはざまで・・・
また、当時は専業主婦でした。
しかしそれがまったく向いておらず、家にいると心が
「この状態から抜け出したい」
と猛烈に焦り始めました。
結果、二人目が3歳になる前に働きだしました。
働くことに対しての願望はずっとありましたが、仕事中毒の夫との暮らしで叶えることは困難で、しばしば私を悩ませました。
しかし何とか職にありつけました。
夫すら頼れない環境でのワーキングママ生活は、常に時間との戦いで疲れている状態が当たり前、キャパオーバーが普通の生活でした。
その時いつも感じていたのは
どうして、ほかのママたちは子育ての協力者がたくさんいるんだろう
という思い。
いつも孤児奮闘していました。
子どもはすくすく育ちましたが、私の中では子どもに対していつも
もっと手をかけてあげたい。でも、できない、余裕がない
というジレンマが強くありました。
外で仕事をして一人の人間として自己実現したい自分
手作りの食事や工夫を凝らした丁寧な暮らしの中で、子育てをしたい自分
自分自身が二人ほしいと思う日常でした。
子育てを取り囲む外野の存在
私の子育ては、仕事中毒で子育てノータッチの夫と教育熱心な姑&舅の干渉とのせめぎあいの育児でした。
姑&舅はとても孫に愛情を注いでくれるのですが、私にとってはプレッシャーを感じる相手でした。
「勉強も、スポーツも、遊びもぜんぶ頑張れ」が口癖の舅
「勉強しないと世界に羽ばたけないじゃない」が口癖の姑
英語は?塾は?と世間体、学歴、そういうものが一番大切な義両親。
いわゆる土の時代でバリバリ生きてきた世代なので、仕方ない面もあるのですが、私をずいぶん悩ませました。
健康に生きてるだけでいいじゃない
と思う私。
そのありがたみをわかってほしい・・・。
そして、夫。
子煩悩な夫ですし優しい夫です。
しかし協力は一切なし。
彼にとって週末のほんのひとときの楽しい時間が子育てのすべて。
そんな感じだったので、子育てを二人でやってきたという実感は残念ながら持てませんでした。
子育て期は私なりに過酷な状況で一人奮闘する日々でした。
これはやっかいで、私の心にものすごく深い刺となって今もずっと刺さっています。
一人で頑張ったと思っている自分
家族のために仕事を頑張ったと思っている夫
子育て期の、この「わだかまり」を解消するのは困難だと思います。
成績優秀な子=ママは子育て成功者・・・?!
健康に生きてるだけでいいじゃないと思う反面、育児熱心なお母さんの子供はやっぱり成績優秀で私はほったらかしすぎなのか・・・・どこまで子どもの勉強に介入して良いのか悶々とする日々でした。
子どもの成績は二人とも平均的でど真ん中というところ。
勉強以外でも、学校のお便りで部活や委員会で表彰される、知り合いの子どもの姿を目にすると心がザワつきました。
特別なんの賞も貰ってこないわが子に対して
自分が才能を引っ張り出せていないのでは?
と不安になりました。
その結果
成績の良い子については「親にやらされて気の毒~」
委員長やら部長やらが好きな子については「承認欲求が強いのは親の期待に応えるためね~」
こんなふうに卑屈に考えてしまう自分が嫌でした。
「生きているだけでいい」という思いと
「何か特別な才能を持っていてほしい」という思い。
当時の私は子供の活躍を親の成績表のように見ていたのかもしれません。
ママ友ゼロ人
避けて通れないママ友関係。
子供が幼いころからかなり用心していたので、少し話すような距離感が自分にとっては最適で、極力家庭内の話まで踏み込むような関係にならないよう注意していました。
その結果、子供の通う学校で同学年のママ友は0人!
行事のたびに、ママたちのグループに全く属してないというのは辛いものがありました。
しかし苦手なんです。ママ友オーラが。
同じ女性がママという怪物に見えると言ったら大げさでしょうか。
声のテンション、話している内容、いろんなものが私にとって苦手の塊でした。
「○○ちゃんママ~こっちこっち~」みたいなテンションが怖いのです。
下の子が高校に入ったときは
「もう、こういったママ友集団を気にすることから解放されたんだ!」
と心底ホッとしました。
子供との関係
子供との関係は良好です。
母と子というより友達に近いと思います。
すでに成人している子ども達に言わせると、昔の私は教育ママだったというので驚きました。
それは「本人任せでいい」という思いと、「親として引き出してやらないといけないのでは・・・」という思いのせめぎあいの時期です。
私自身の軸がブレブレだった時のことを言っているようです。
今では、すっかり義両親や他のママたちといった外野から解き放たれ(?)子供曰く、現在の母としての私のことを
「あまりにも子供を心配しない母親」
だと言ってきます。
子供は進学でもう家を出ていますが、その際も本人に任せきりでした。
まわりはみんな親が付きっきりだったと、あとから聞かされました。
「子どもの一人暮らしの生活に干渉せず、何も手を貸さず。」
これが多分、私の本当の子育ての姿だなと思います。
まとめ
昔はまわりの立派な母親の姿や、子どもにどんどん介入していく母親の姿に翻弄されました。
数秘33はそんなことせず、たくさん子どもと無駄話をして、おいしいご飯を出すだけでオッケーなんだと今なら思えます。
子どもの成績が良かろうが悪かろうが、どっちでもいい。
私の願うことは、ただ一つ。
子供の心が幸せなこと。心が元気に過ごしていれば、それだけでいい。
それが本心です。
数秘33は愛情深いのでその意味が分かると思います。
子どもの意思を無視してでも、世間的に良い大学、良い職業を血眼になって求めるようなモンスターな親は数秘33にはあまりいないのではないでしょうか。
子どもたちが成人し、やっとまた自分の人生がスタートする。
今はそんなわくわくでいっぱいです。
よく頑張った自分!!