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実録㉜~一人でいるのが好きすぎる数秘33~

《実録》これが数秘33の生き方だ

こんにちは。
数秘33の笹子です。

小さいころから一人でいる時間が好きでした。

現在アラフィフの私は年をとるにつれ、ますます一人好きになっています。

人と一緒にいると気遣いスイッチが入ってしまうため、とても疲れてしまうのです。

また、人込みも苦手。

家族と一緒であっても、

「何かしてあげないと」

という無意識のスイッチが入るため、やはり気が休まりません。

そんな心情について、今回は綴ってみたいと思います。

家で一人でいる時が天国

私にとって一番贅沢な時間は、家で一人で過ごしているときです。

片付いた家でソファにゆったりと座っている瞬間は、とてつもない充足感を感じます。

誰の目も気にしなくていい

誰の世話もしなくていい

何をしてもいい

何もしなくてもいい

こんな時間に究極の自由を感じます。

そして、この時間が私がありのままでいられる唯一の時間です。

小さな頃は、両親が共働きだったので家に帰れば一人でした。

その時間は、大きな声で歌を歌ったり窓から外を眺めたりして、子供ながらに

「一人の時間って幸せだなぁ」

と感じていました。

小学生のころには「一人暮らし」を夢見ており、担任の先生に家庭に何か問題があるのではと心配されました。

その後、実家から離れた大学に進学し、晴れて一人暮らしを満喫。

就職活動の際にも実家に戻る事を考慮することは一切なく、面接官に何度も大丈夫か確認されました。

実家の両親は、程よく放任で何にも問題ありません。

しかし、家にいるときは一人になりたいのです。

誰にも気を使うことなく、時間に追われることもなく、好きなことを好きなだけ楽しめる。

そんな一人のおうち時間は、家族を持った現在の自分にとって、なかなか確保することは難しくなりました。

私にとって、シェアハウスや義両親との同居生活などは絶対無理。

たとえ、子供が結婚しても絶対に同居はしたくありません。

一番リラックスできる空間に、他人が一緒に生活しているという状況は気持ちが休まることがないと感じます。

職場でも、できれば一人でいたい

今している仕事は完全に一人仕事なので、今の自分にとってはありがたい環境です。

もし、これがチームワークやホウレンソウ(報告・連絡・相談)が密な仕事であったら、さぞしんどかったろうと思います。

現在、ストレスゼロで働いているのかといえばそうではありません。

私以外の社員も働いているので、顔を合わせれば雑談をすることになります。

数秘6を無意識に発動して職場に存在しているので、表面上は「人当たりソフトな人物」として適応しています。

「いかにもコミュ障、ひとり大好き、話しかけないで」

という雰囲気は全く出さずに存在しています。

職場というのは結構みなさんドロドロした感情を心に隠し持って働いています。

そこに深入りしないように、ちょっとした愚痴から人の悪口に到達しないように、様々なことに細心の注意を払っています。

愚痴を聞いても便乗はせず、穏便に話を切り上げるという割と高度なコミュ力が必要です。

これが、とんでもなく疲れるのです。

また、コミュ力以外にも

・旅のお土産が置いてあったら「タイミングを見計らって早めにお礼を言いに行かねば・・・」とそわそわ

・誰かと全く同じタイミングで出勤しないように時間をずらす

・消耗品の使い方に気をすり減らす

など、こまごまと気を使って職場で生きています。

常に人の存在、誰かの目を気にしている・・・。

仕事自体は自分に合っているので、もし誰もいない状態でポツンと一人で仕事ができたらなんて気楽なんだろうと思います。

学生時代はみんなが違う人種のように見えた

小中高時代というのは、一緒にいる人がいなければ生きていけない空間なので、もうあのころには決して戻りたいと思いません。

遠足や体育祭に文化祭、修学旅行などもできれば欠席したい気持ちでいっぱいでした。

表面的には友達もいましたし、学校行事も休まないで登校していましたが、無理して誰かと一緒にいる感覚、無理して楽しんでいる感覚がずっとありました。

放課後いつまでも残って友達とおしゃべりしたりするよりは、商店街や街並みを一人で散策しながら寄り道するほうが好きでした。

秋の落ち葉を踏みしめながら、ひとり夕暮れを歩くような感覚が好きなのです。

部活もチームワークではないものを選びました。

大勢の人がみんなでつるんで楽しんでいる中、自分はそれをどこか別の人種のように感じている学生時代だったように思います。

孤高の人というのがたまにいますが、そういう存在ではないのです。

そこに紛れているので、孤立はせずとも心がそこから浮遊しているような感覚でした。

そんな状態の人間関係だったため、無理して仲良くしていた人で、関係が今でも続いている人はいません。

子育てにママ友は必要なかった?

子供が小さいころは専業主婦でした。

よく、「ママ友に助けられた」とか「ママ友がいないと子育てが難しいよ」という声を聞きますが、私の場合はとても微妙です。

子育てにママ友は全く必要なかったといえばウソになります。

話すだけで気が楽になることもありましたし、子供同士が遊んでいる間はお話をしてほっとできる時間もありました。

しかし基本的には「ママ友集団、苦手」という気持ちです。

そしてどこにも所属せず、園行事や学校行事は淡々と一人で行動するようになりました。

結論を言えば、子育てにおいては「ママ友はいなくても大丈夫」。

だべってつるんで大笑いするのではなく、落ち着いて子育てを語り合いたい。

その人の家庭の状況を探り合うのではなく、お互いの感性で交流したい。

幼稚園や学校関係のママ集団はそういったムードがなく、「ママの仮面を付けた一人でいるのが苦手な人」の集団のように見えました。

まとめ

今回は一人でいる時間が大好きな数秘33の私の心情について綴ってみました。

小さなころから大人になるまで、ずっと一人でいる時間を求めていました。

その結果、自然と一匹狼的な生き方をしている人生です。

数秘33はこの地球での暮らしに疲れている場合が多く、その原因の一つが「人」なのではないかと思います。

人間関係に疲れるというよりは、人の存在自体に疲れるという状態です。

一人でいるときの解放感や自由な気持ちは、人の目を気にしなくていい、誰の世話もしなくていい、マイペースでいい。そんな理由からだと思います。

本当の自分のままでいられる一人の時間は、やはり私にとって絶対に必要な時間であると思います。

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